わたかわ 鉄道&旅行ブログ

乗り鉄&旅好きの20代男子が全国を巡る!

【13年の歴史に幕】京急「エアポート急行」ラストランに乗車[羽田空港→金沢文庫]

 

2023年11月24日(金)

こんばんは。本日は京急本線の横浜駅へとやってきました。

ただいまの時刻は19時過ぎ、華金の夜かつ飛び石連休の中日もあってか横浜駅構内は大勢の人で賑わっています。

さて、既報の通り、京急では2023年11月25日(土)にダイヤ改正が実施されました。今改正でひときわ注目を集めたのがエアポート急行」の名称変更です。

羽田空港の国際化を控えた2010年5月のダイヤ改正より、品川方面・横浜方面⇔羽田空港間を結ぶ新たな列車種別として運行を開始した「エアポート急行」。種別の欄に表示された飛行機のマークが特徴的でした。

しかしこの飛行機マークがあることで、同時に「逗子・葉山行」や「青砥行」といった「空港に行かないエアポート急行」が多数存在しており、訪日外国人観光客等への配慮の観点から今改正にて「急行」へ変更されることとなりました。なお停車駅に変更はありません。

エアポート急行」名称消滅に際し、京急では2023年11月22日(水)から3日間限定で記念ヘッドマークを取り付けた特別編成を運行。最終日となる24日(金)は昼頃までの運行となっており、大きな注目を集めました。

そんな「エアポート急行」運行最終日の夜、都心方面へ向かいつつエアポート急行への惜別乗車を果たしていきたいと思います。

京急線横浜駅ではいくつもの乗車整列位置が用意されており、下りホーム(1番線/上大岡方面)は「エアポート急行」と記載された青いステッカーが貼られています。相当劣化も激しいようですし、今後「急行」のステッカーへと貼り替えられることでしょう。

※なお、翌日同じ場所へ再訪した際には飛行機のマークが隠されているのみで、この時点ではまだ応急処置といった様子です。

一方で、上りホーム(2番線/京急川崎方面)は少しステッカーの仕様が異なります。こちらはエアポート急行ではなく「羽田空港行列車」という表記になっており、その名の通り種別に関係なく列車の行先が「羽田空港」ならばここに並べ、というルールになっているのです。これまでも「エアポート急行」のみならず「快特」「特急」等でも羽田空港行の列車が一部存在していたことから、このようなルールになっているものと思われます。こちらには「エアポート急行」の文字の記載はありませんから、おそらくはダイヤ改正後も特に貼り替えは行われない可能性が高いとみられます。

さて、それでは運行最終日の夜、惜別乗車を始めていきたいと思います。

まずは横浜19時22分発のエアポート急行 羽田空港に乗車。発車標に示された飛行機のマーク、何気ないものですが今夜で見納めとなります。

まもなく、2番線に8両編成のエアポート急行が姿を現しました。ホーム上は帰宅ラッシュと重なり混雑しているものの、1番線と比べるとそこまででもありません。前4両は新1000形ステンレス車、幼少期の私が京急を好きになったきっかけとなった思い出深い車両です。

列車は定刻通りに横浜駅を発車。車内の表示器には「エアポート急行」の文字のスクロールがなされますが、車内掲出の路線図はダイヤ改正発表後比較的早い段階で更新が進み、ダイヤ改正前から「急行」の記載となっています。「エアポート急行」と「急行」が混在するこの2つの組み合わせも大変貴重なものです。

横浜を出るとその先の停車駅は京急東神奈川、神奈川新町、京急鶴見京急川崎京急蒲田とその先空港線内各駅です。

JR横浜線の多くの列車が東神奈川始発・終着となっているため、私にとって京急東神奈川は特に思い出深い停車駅の一つです。新幹線に乗るため新横浜へ行きたい時や、中央線特急で甲府・松本方面へ向かうため八王子へ行きたい時など横浜線を利用する機会は多く、エアポート急行仲木戸(現在の京急東神奈川)へ移動してからペデストリアンデッキ上を急ぎ横浜線へと乗り換えた記憶が蘇ります。

今回乗車中の列車は、神奈川新町で先行の普通列車と緩急接続を行ったのち、次の京急鶴見でもさらに1本前を走る普通列車と緩急接続を行いました。列車本数の多い時間帯だからというのもありますが、こう何本も立て続けに普通列車を追い越すとやはりエアポート”急行”の名に相応しい風格を感じます。横浜駅を5分後に発車する快特がありましたが、この快特には追い付かれることなく京急蒲田まで逃げ切ります。

19時37分、列車は京急蒲田駅へ到着。”要塞”とも称される複雑な立体構造をした駅です。横浜方面からやってきたエアポート急行は2階ホーム4番線へと入り、スイッチバックをして空港線へと入ります。

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京急蒲田駅の名物は、ホーム上に設置された「羽田空港方面専用」の発車標です。以前の記事でもご紹介した通り、京急蒲田駅において羽田空港行の列車は「横浜方面→羽田空港」が4番線発、「品川方面→羽田空港」が1番線発となっており、1番線と4番線で階が異なることからこのような案内がなされています。この時間帯は全て「エアポート急行」ですが、時間帯によっては「快特」「特急」「普通」が混在する場合もあり、快特京急蒲田を出ると羽田空港第3ターミナルまでノンストップで運行されます。残念ながらエアポート快特京急蒲田を通過するため、この発車標に飛行機のマークが表示されるのは今夜が最後となります。

続いて4番線に姿を現したのは、19時43分発のエアポート急行 印西牧の原行です。4番線は「横浜方面→羽田空港」のみならず「羽田空港→品川方面」の列車も使用しており、このように「空港に行かないが飛行機マークのついた列車」が「羽田空港行の列車」と同じホームから発車することは極めて乗車難易度が高いと言わざるを得ません。

都心方面と羽田空港を結ぶエアポート急行は乗り入れ先の事業者の車両が使用されることが多く、今回のこの列車も北総鉄道の車両で運用されていました。横浜市民の私にとってこうした光景は新鮮さがある一方、首都圏の地理に不慣れな旅行客にとっては「インザイマキノハラ? どこそれ? まあ飛行機マークついてるなら空港行くんじゃね?」とならざるを得ません。こうした誤乗を防ぐことこそ、今改正のカギといえます。

後続の快特に乗車し、続いては品川駅へ移動してきました。こちらも下りホーム(1番線)は帰宅ラッシュ時間帯と重なり、大変混雑しています。横浜駅以上に複雑な乗車整列位置のルールが名物となっていますが、「訓練された乗客」らはそれらを器用に使いこなしています。

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ここ品川駅でも、京急蒲田駅と同様に「羽田空港方面専用」の発車標があります。種別欄に飛行機のマークが表示されるのは今夜までですが、英訳は「Express」のみとなっており、明日からは本当に飛行機マークが取れるのみとなりそうです。

品川駅に来た理由はもう一つ、こちら3番線から発車する「イブニング・ウイング号」にも今改正での変化があります。

18時45分発の「2号」から21時05分発の「16号」まで約20分間隔で運行されてきた「イブニング・ウイング号」。2100形8両を使用し、平日夜の都心方面からの着席ニーズに応えつつ上大岡までノンストップの列車として運行されてきましたが、今改正からその最後の2本(14号・16号)の運行形態が見直されます。

11月27日(月)以降、14号と16号は頭端式ホーム3番線ではなく通常の下りホーム1番線からの発車となります。また、編成が8両→4両へと減らされた上で行先を「三崎口」から「金沢文庫」へと変更し、それぞれ8両編成の快特の後ろに連結して運行されることになります。

そのため、14号・16号が3番線から8両単独編成の列車として発車するのは今夜が最後となります。

ざっと外から発車間際の車内を見てみますと、確かに遅い時間の便ということもあってか満席とは程遠い様子。窓側にも多数の空席があり、華金の夜でこれならば他の日はもっと空いているかもしれません。

一方で8両→4両となり、かつ2100形(2ドア)から新1000形(3ドア)での運用となることを踏まえると実際の座席数は半分以下になるでしょうから、積み込めないことはなくとも車両によっては満席近くなることもあるかもしれません。

この後は羽田空港方面へと移動しますが、少し時間があったので大井町駅前の「おふろの王様」でいったん小休止。

あれから約2時間後、再び品川駅へと戻ってまいりました。時刻は22時半過ぎ、いよいよ羽田空港方面へと向かいます。

ピーク時間帯に比べると本数は少ないものの、この時間でもエアポート急行は運行されています。

今回は品川22時37分発のエアポート急行 羽田空港に乗り込みます。北総鉄道の9100形(通称”C-Flyer”)がやってきました。横浜方面ではまず見ることのない車両です。

京成線内で発生した人身事故の影響で、列車は品川駅を3分ほど遅れて発車。途中青物横丁、立会川、平和島京急蒲田空港線内各駅に停車します。

車内の路線図はまだ更新されておらず、「エアポート急行」の表記が残っていました。明朝にかけて一気に全てを交換するのも大変ですし、もしかすると改正後も一部ではエアポート急行の表記が残っているのかもしれません。

品川駅を出る時点では混雑していた車内ですが、羽田空港よりも手前でどんどん乗客が降りていきます。鉄道ファンの姿はわずかしかありませんが、果たしてこの車内の乗客のうち何割くらいが「エアポート急行」運行最終日であることを知っているのでしょうか。

羽田空港は「第3ターミナル」と「第1・第2ターミナル」で駅が分かれています。到着前には「国際線ご利用のお客様はこちらでお降りください」等のアナウンスがなされることでも知られていますが、こんな夜遅くでもそのアナウンスは健在でした(国際線は深夜帯の出発も多いようです)。

定刻よりも3分ほど遅れ、23時03分頃に羽田空港第1・第2ターミナル駅へと到着。この列車は折り返しエアポート急行 印旛日本医大行となるようです。この時間からまだ印旛へ行くのか…。

23時を過ぎると国内線のフライトはもうなく、到着便がぽつぽつとあるのみ。空港ビル内はがらんとしています。

さて、それではいよいよ最後の乗車といきましょうか。

乗車するのは、羽田空港第1・第2ターミナル23時34分発のエアポート急行 金沢文庫。13年間に渡り運行されてきた、エアポート急行ラストランとなります。

23時台へ突入するとほとんどのエアポート急行が「品川行」となります。16分発(品川行)、25分発(品川行)、34分発(金沢文庫行)、41分発(品川行)、48分発(品川行)が全てエアポート急行として運行されるため、一見するとエアポート急行のラストランは34分発ではなく48分であるように見えます。

しかし実際には、この48分発が終着駅である品川へ到着するのは0時10分であるのに対し、先行する34分発が終着駅の金沢文庫へ到着するのは0時28分羽田空港行やその他の線区を見てもこれより遅い時間まで運行されているエアポート急行はないため、この34分発の金沢文庫行をラストランと定義付けることができると考えました。

そしていよいよ、1番線にエアポート急行 金沢文庫行が姿を現しました。

京急1500形、6両編成での運用です。

号車により混雑率は多少異なりますが、総じてこの時間帯の羽田空港発の列車は夜遅い時間に到着した便からの移動の足として重宝されており、発車間際に一気に混雑度が増す傾向にあります。

23時34分、列車は定刻通りに羽田空港第1・第2ターミナルを出発。金沢文庫までの52分間、エアポート急行としての最後の走りを楽しみます。

第1・第2ターミナル駅からの乗車は程々でしたが、第3ターミナルからかなり多くの乗車があり、車内は満員近くまで混雑。実はどうも、この列車が京急蒲田都営線方面への列車に接続する最後の列車のようで、これより後のエアポート急行に乗車しても品川で足止めとなってしまうのだそうです。

なお利用客の大半は遠方から空路で羽田空港へとやってきた乗客で、鉄道ファンの姿はあまりありません。

23時44分、京急蒲田駅に到着。3階ホーム1番線へと入り、ここでスイッチバックを行います。

京急蒲田駅のホームには鉄道ファンの姿が若干名見られましたが、人だかりができるほどではなく、特段混乱や騒ぎが起こっている様子はありません。

多摩川を越えて神奈川県内へと入り、京急川崎駅に到着。ここは京急線内で一番最近(2022年2月)までフラップ式の発車標が使用されていましたが、現在は他の主要駅と同様に最新式のものが使われています。京急川崎駅のこの発車標に「エアポート急行」が表示されたのはわずか1年9ヵ月ほどとなりました。

京急車における路線図の更新はすっかり完了しているようで、この列車が金沢文庫駅に到着した瞬間にこの世から「エアポート急行」という列車は消滅することになります。

しかし、どうもその実感は湧きません。

日付を跨ぎ、列車は定刻よりも2分ほど遅れて横浜駅に到着。京急鶴見や神奈川新町等で少しずつ減っていった乗客ですが、ここ横浜からさらにぐっと増える形になります。

こうした「途中駅」からの利用の多さこそ、エアポート急行が13年間に渡り単なる「空港連絡列車」のみならず沿線の生活利用と密接に結びついた役割を果たしていたことの証左でもあると感じます。

横浜から乗車した乗客の多くは、日ノ出町、井土ヶ谷、弘明寺で下車。南太田では普通列車を追い越し、ここでもエアポート急行の「優等列車らしさ」の片鱗を見ることができました。

0時15分、列車は上大岡駅に到着。先ほど南太田で勢いよく普通列車を追い越したこの列車ですが、ここ上大岡では後続の特急に道を譲ります。このように「譲り」と「譲られ」の両方が発生していたのも、またエアポート急行ならではといえます。

上大岡駅では0時18分発の特急 逗子・葉山行が先行し、その後を追うようにこちらも発車します。特急は金沢文庫より先、終点逗子・葉山まで全ての駅に停車するため、金沢八景および逗子線内へは上大岡でこの特急に必ず乗り換えなければいけません。

エアポート急行は0時19分に上大岡駅を発車。「エアポート急行」としての運行も残り10分を切りました。

上大岡を出ると相変わらず車内は平和そのもので、混雑している様子もありません。先頭車両には数名程度鉄道ファンの姿もありましたが、「ラストランだから」と混雑する様子もなく、良い意味で車内の様子は”いつも通り”です。

上大岡より先は杉田、能見台と停車して終点の金沢文庫に至ります。

日中はヘッドマークや車内ジャックの中吊り広告をはじめ、運行最終日らしい演出もいくつかなされていた「エアポート急行」。一方で真の「ラストラン」であるはずのこの列車では、さよなら放送や駅到着時の記念セレモニー等も行われる様子はなく、前日までと全く同じ運行がただなされるのみです。

しかし本当は、これで良いのかもしれません。ホーム上や列車内を鉄道ファンが埋め尽くす光景はもちろんラストランの雰囲気漂うといえばそうですが、もしそうなればただただ人の波にのまれ、感傷に浸る余裕もなく、あっという間に時間だけが過ぎていったかもしれません。

この「エアポート急行」という列車は、私の10代の思い出そのものと言っても過言ではありません。2010年5月の運行開始直後、上大岡駅のホームに突如として「エアポート急行」の文字が現れ、これが自分の目的地に停車する列車なのかわからず、当時小学生だった私は近くの大人に「これって○○駅とまりますか?」と尋ねたのを今でもはっきりと覚えています。

生活環境の変化に伴い利用頻度が下がる時期もありましたが、それでも羽田空港へ行く時はもちろん、日常的な短距離の移動でも京急に乗ると毎回のようにエアポート急行を利用していました。むしろこの列車が誕生したことで羽田空港をとても身近な場所として実感できるようになり、京急沿線で育ちながらも「快特」「特急」のほか「普通」しか見てこなかった私にとってはとても印象深い列車です。

0時28分、列車は定刻通り終点の金沢文庫駅に到着。

これにてエアポート急行、13年間の歴史に完全に幕を下ろすこととなりました。

まだ20代の私にとって、デビューから引退までの全ての期間に立ち会える列車というのはそう多くありません。しかも沿線民として日常的に利用してきた身としては、その思いもひとしおです。

私も鉄道ファンの端くれとして、年季の入った車両や利用の少ない列車等の引退はある程度予測が立てられるものです。「この列車はあと数年で乗れなくなりそうだな」「この光景が見られるのもあとわずかかもしれないな」と予測が立てられれば現地へ直行するのですが…「エアポート急行 ラストラン」―この文字の並びを見る日がこんなすぐにも来るとは思ってもいませんでした。あくまでも”名称変更”にすぎず、改正後もほぼ同じ運行形態で「急行」として残存するのだから「引退」という表現を用いるのは好ましくないかもしれませんが、それでも「エアポート急行」という京急らしい呼称にアイデンティティを見出していた私としては、寂しさがこみ上げてくるものです。

とはいえ、繰り返しになりますが今後も「急行」を頻繁に利用していくことにはなるでしょうし、「羽田空港」という行先の前に飛行機マークを付けることが利便性や分かりやすさのために最適であると判断されたことには全面的に同意です。その上で、「エアポート急行」としての13年間の最後の瞬間に立ち会えたことを光栄に思います。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。