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【世界遺産】石炭産業で栄えた「軍艦島」周遊観光[2308長崎3]

 

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2023年8月11日(金)

夏の長崎旅行2日目の朝は、宿泊先である「カンデオホテルズ長崎新地中華街」からのスタート。2連泊となりますので、大きな荷物は部屋の片隅に残して身軽な状態で出発します。

2日目の本日、および明日3日目は長崎市内を中心とした観光の予定です。

本日まず午前中に参加するのは「軍艦島上陸クルーズ」。事前予約制のツアーで、真っ黒に光り輝く「ブラックダイヤモンド」と呼ばれる船で長崎元船桟橋を出港します。

今回参加させていただくのは「高島海上交通」さんが運営するツアーの午前便です。長崎元船桟橋を出港し、途中「高島」「軍艦島」の2つの島へ上陸…できるはずでした

しかしこの度の台風6号接近を前に、軍艦島では7月末の時点で島内にある見学順路の手すり等をいったん撤去しています。これは台風による暴風・高波等の影響で万が一見学用設備が破損した際に、島内の貴重な遺産群への損傷が及ばないようにするためです。

そして8月11日、九州本土は台風一過の青空となり、クルーズ船が出港できることにはなったものの、いったん撤去した手すり等を再び島内の見学順路に設置するまでは一般人が島内に上陸することはできません。「軍艦島上陸クルーズ」でありながら、何と残念なことに上陸できないことになってしまったのです。

もちろんこれは当日判明したことではなく、前もって運航会社よりメール連絡が来ていました。出港自体はできるものの、軍艦島に上陸することはせず、船上からの見学に留める「周遊クルーズ」なる代替プランが提示されており、今回はそちらに参加することにしたのです。

本来の上陸クルーズの場合、1人あたりツアー代金3,600円に加え見学料として310円が必要になります。一方今回の「周遊クルーズ」は少し安くなりツアー代金は1人3,400円となりました。また上陸不可のため、別途の310円も必要ありません。

www.gunkanjima-cruise.jp

参加にあたっては、事前に公式サイトから予約を行い、当日は元船桟橋近くにある「クルーズ事務所」にて受付と代金支払いを済ませます。8時50分頃より乗船開始となり、参加者全員の乗船が確認できたので9時過ぎに元船桟橋をいよいよ出港です!

まずは穏やかな長崎港内をゆっくりと進んでいきます。周囲を山々に囲まれた特徴的な湾になっており、平らな陸地の少ない街であることを船の上からも感じることがでいます。

大まかな航路はご覧の通り。軍艦島長崎半島から西に4.5キロほど離れた場所にあり、現在は無人島となっています。途中女神大橋伊王島大橋の2つの橋の下をくぐり、高島・軍艦島方面へと向かいます。

一つ目の目的地である「高島」へ向かう途中にも、左右には造船所や工場群を望むことができ、長崎らしい海の風景です。

元船桟橋を出港して約30分、高島が見えてきました。まずはこちらに上陸し、しばし観光の時間となります。

9時35分頃、高島港に到着。軍艦島と異なりこちらは人口300人ほどの有人島で、島内には小学校や宿泊施設もあります。

高島へと上陸したら、まずは港のすぐ近くに置かれている模型を使用して軍艦島に関するガイドが行われます。一つ一つの建物が精巧に再現されており、とても勉強になります。

なお聞くところによると、7月の1ヵ月間のうちツアーの行程内で軍艦島に上陸できた日はわずか3日間しかなかったのだそう。悪天候が続く季節は「上陸できたらラッキー」というものなのかもしれません。

また、そのすぐ近くには「高島石炭資料館」もあり、見学時間が設けられています。かつて石炭の産出が島の主力産業であったこの高島では、現在もなお炭鉱の跡地等が観光名所として残されています。軍艦島クルーズ内では実際に高島の中をじっくりと観光するほどの時間こそないものの、こちらへはツアーとは別に定期航路も存在しますので、是非ともまた訪れてみたいところです。

30分間ほど高島に滞在したのち、いよいよ今回のメインである軍艦島に向かいます。

高島から軍艦島まではそれほど遠くなく、すぐに眼前に見えてきました。青々とした海に浮かぶコンクリートむき出しの島、これこそが軍艦島端島)」です。

この島の正式名称はあくまでも「端島(はしま)」で、軍艦島というのは愛称に過ぎません。外からこの島を見た際にその様子が大きな軍艦に見えることが由来です。

この島の歴史は、1810年頃に島内で石炭が発見されたことに始まります。19世紀末より本格的に炭鉱開発が進み、周囲を埋め立てることで少しずつ島を大きくしながら徐々に人々が移り住んでいきました。

島内には小中学校、商店、映画館、病院といった様々な公共施設や娯楽施設も造られ、最盛期の人口は約5,300人(1960年頃)にも上りました。同時期の東京の9倍ほどの人口密度であったとされており、ありとあらゆる人々の営みがこの島の中で行われていたということになります。

島の中央部は山のようになっており、その頂上には端島神社がありました。常に命がけの炭鉱での作業に従事する労働者やその家族にとって、大切な心の拠り所となっていたそうです。

しかしその後、エネルギー革命により我が国の主要エネルギーが石炭から石油に移ると同時に、石炭産業は徐々に衰退の一途を辿ることになります。1960年代以降は人口減少も顕著に進み、ついに1974年には炭鉱が閉山。程なくして最後の住人がこの島を離れ、無人島となりました。

島内の建造物は当時最新鋭のコンクリート造りでしたが、閉山後約半世紀が経過した今となっては劣化も進み、当時の建物の全てがそのままの状態で残されているわけではありません。中には「次に大型の台風が来たら耐えきれるか分からない」というほどぎりぎりの状態を保っている建造物もあるそうで、別の機会にもし来ることができたとしてもこの島が今回ほど綺麗な状態で残されているかどうかは誰にも分かりません。

せっかくここまで来たのですから少しでも上陸してみたかった…という思いはありますが、安全第一ですから仕方ありません。何よりも、こうした貴重な遺産を長く保存していくことこそが後世にとっても大切なことです。「かつて膨大な人口を抱え、時代の最先端をゆく技術や設備が揃っていた島」であったことの片鱗を海の上から眺め、そして豊富な解説により学ぶことができただけでも大変意義のある時間となりました。

島をぐるっと一周したところで、あとはまっすぐ元船桟橋へと戻っていきます。

余談ですが、伊王島・沖之島と呼ばれるこれらの島々も観光シーズンには多くの人で賑わう人気の観光地のようです。数えきれないほどの島々で構成された長崎県では、時代を越えてそれらの島の一つ一つにしっかりと人々の営みがあるのだと改めて感じました。

橋をくぐり、長崎市内の街並みを望みながらゆっくりと入港していきます。

11時20分頃、約2時間20分ほどで元船桟橋に帰着。軍艦島への上陸がなかった分、本来よりも小一時間ほど短い行程となりました。

ちょうどお昼時ということで、長崎駅の中にある「だしぼんず」で牛ごぼう天がのった豪快な五島うどんをいただきました。麺と天ぷらのどっちが主役かもはや見紛うほどの豪快さですが、これが案外ペロリといけてしまうものです。

 

午後は引き続き長崎市内を観光していきますが、その様子はまた次回にします。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。