みなさんこんにちは。わたかわです。
今日は、ちょっと自己紹介も交えつつ、私の「乗り鉄」としての後悔と、そこから学んだことについて話していけたらと思います。旅行の記事ではないですが、貴重な昔の写真も少し出てきますので是非読んでいただけたらと思います!
「あと○年早く生まれていれば」
「あと○年早く鉄道を好きになっていれば」
これらは、鉄道ファンなら、誰しも一度は感じたことがあるのではないか、と思います。
あと何年か早く生まれて、鉄道にハマっていれば、あの名列車に乗れたのに、あの名列車を撮れたのに、という後悔です。
もちろん、私も御多分に洩れずその一人。
私はこの春で大学3年生になりました。1999年生まれの、現在20歳。
実は幼い頃は鉄道には全く興味がなく、もっぱらクルマ好きでした(子どもの頃遊んでいた大量のトミカは今でも押し入れの奥底に眠っていると思います)。
そんな私が、鉄道にのめり込むきっかけとなったのは、小学生の時の、父親の海外転勤でした。
2007年から2009年までの2年間、父親が海外で働くことになり、家族総出でアメリカに一時的に引っ越すことになります。
なので私は自己紹介で「横浜生まれ、横浜育ち」とよく言うのですが、厳密にはこの2年間だけはアメリカに住んでいました。小学2~4年生の間です。
ご存じの方も多いと思いますが、アメリカはクルマ社会。日常生活で鉄道を利用する場面といったら、都市部では地下鉄があるくらいで、郊外まで行くと鉄道を日常的に使うことはありません。
一応地上を走る鉄道もあるのですが、日ごろの移動手段としては圧倒的にクルマ。13歳頃までは子どもだけで外を出歩いてはいけないという法律か何かがあったようで(記憶が定かではありませんが)、そもそも当時8~10歳の私は、外出するときは常に親が運転するクルマに乗ってさえいればどこへでも移動ができたのです。
現地に住んでいる時は、しばしば地下鉄を利用しましたし、アムトラックという座席定員制の特急列車にも乗ったようなのですが、今ではその記憶はほとんどありません。
そんな自分が、2009年に日本に帰国します。2年前と同じ、横浜の地に。
そこで私は驚かされたわけです。日本で網の目のように張り巡らされた地上鉄道に。
2年間日本を離れていたことで、それまで決して気づくことのなかった、日本の鉄道の素晴らしさに、客観的に気づくことができました。
そうして、私は鉄道好きになったのです。時期にしておよそ2010年頃のことでした。
ただ当時、自分には鉄道に関して何の知識もありませんでしたし、撮り鉄なのか乗り鉄なのか模型鉄なのか収集鉄なのか、等具体的にどのジャンルの鉄道好きなのかもわかりませんでした。
ただ、地元を走る京急線にはすごく馴染みがあり、鉄道好きになる一番の身近な存在でもあったので、初めて「鉄道旅行」をしたのは2010年頃に横浜~京急川崎駅間を往復したことでした。今でもよく覚えています。ちなみに小学5年生の頃ですが、親同伴でした。たかだか横浜と京急川崎の往復でさえも、親同伴でないと心許なかったのです。今となっては考えられません。そしてなぜこんな10分足らずの距離の往復でも楽しめたのかも今となっては謎です。
ともかく私はそれから、身近だった京急線を皮切りに、鉄道にハマっていくようになりました。
2012年に中学に上がると、通学でJRを利用するようになったこともあって、JRも身近な存在となっていきます。誕生日に親から買ってもらった1万円弱のデジカメをもって、週末の度に横浜駅で臨時列車を撮影したり、東京や神奈川のJR・私鉄各線に乗っていました。この範疇の移動は、もう親なしでどんどん出かけるようになっていました。
しかし、このときの私は、まだ「乗る」ことの楽しさに気づいていなかったのです。
「乗る」よりも「撮る」ことがメインで、しかも駅のホームの端っこで、電車の顔が撮れればそれで満足していました。
哀れです。本当に哀れ。
まぁ当時の自分が満足していたのならそれでもいいのかもしれませんが、「乗る」ことの楽しさに気づいていれば、その後の「乗り鉄」としての私の人生は大きく違っていただろうと思います。
「乗る」ということの楽しさに気づけなかった最大の原因は、「行動力のなさ」でした。
首都圏近郊で週末の度に撮影する特急列車や臨時列車は、どれも敷居の高い存在。見ることはできても、自分が乗れるものだとは1ミリも思ったことがありませんでした。
まぁ私が自由に使えるお金といったら、当時月1,000円の小遣いのみで、経済的に余裕がなかったというのは確かですが、それでも乗ることの楽しさに気づいてコツコツ貯金していれば多少の「乗り鉄らしい活動」もできたのではないかなと思います。
その「行動力のなさ」を特に身に染みて感じるのは、「夜行列車に乗っておけばよかった」という思いです。
これ、自分と同世代の人で感じている人も多いんじゃないかなと思います。
日曜日に都心に出かけると、上野駅の地上ホームにいれば続々夜行列車が発着していました。私が鉄道にハマり始めた頃は既に夜行列車の衰退期ですが、最後の砦ともいえる上野駅はまだ微かに賑わっていたものです。
朝7時頃に、青森からやってきたブルートレイン〔あけぼの〕が13番線に入線します。
朝9時半頃に、札幌からやってきたブルートレイン〔北斗星〕が13番線に入線し、同じく札幌からやってきたE26系〔カシオペア〕が14番線に入線します。
流石に中学生が月1,000円の小遣いを貯めるだけでは乗ることは難しいかもしれませんが、でも乗りたいという思いも微かにあったので、大人になって、たくさんお金が使えるようになったら乗ろう、という思いもありました。それと同時に、この3本の列車は、永遠になくならないものだろうという思いが心のどこかにありました。
しかし、2014年の春。〔あけぼの〕の定期運行が終了します。
なくならないと思っていた列車の一つが、なくなったのです。
そして2014年の12月。〔北斗星〕が、翌2015年の春をもって定期運行終了する旨の報道が駆け巡ります。
当時中学生の私は焦るわけです。
そして親にせがみました。「一度でいいから、北斗星にのせてくれ」と。
私は中高一貫校だったので、高校受験もなく、また2月頭には「中学入試休み」と言って、学校が入試会場として使われるために数日間休みとなる期間がありました。
2015年の2月に、〔北斗星〕に乗ろう、と考えたわけです。
廃止報道が出たから乗る、というのはあまり好ましい鉄道趣味の楽しみ方ではないかもしれません。ただ、そうせざるを得ないくらい、事態は逼迫していました。
乗車券・特急券・寝台券あわせて2万~3万円程度かかった記憶があります。流石に中学生の小遣いで賄える額ではなく、両親に出してもらいました。
そして当時の自分には行動力というものがなかったため、親なしで泊まりがけの旅行に行く勇気がありませんでした。なので、この〔北斗星〕も父親と一緒に乗ったのでした。
当時は、世の中が北陸新幹線の開業で湧き、そして翌年の北海道新幹線開業に向けて徐々に盛り上がりを見せてきている頃でした。
北海道新幹線開業と同時に〔カシオペア〕〔はまなす〕も廃止されるということは、今思えば当然のことなのですが、これを当然と捉えるほどの鉄道知識が当時の自分にはありませんでした。
2015年、エスカレーターで高校進学し、迎えた最初の夏。家族で東北旅行に出かけることとなりました。
旅程は2泊3日で、ほぼ岩手県内のみだったのですが、そこからさらにもう1泊させてくれ、と父親にせがみ、2人で青森にもう1泊することにしたのです。
その最大の目的は、〔はまなす〕を「見る」ことでした。
「乗る」ではなく「見る」。
青森駅前のホテルに1泊して、夜10時過ぎに青森駅を出発する〔はまなす〕を見送り、朝6時頃に到着する札幌からの〔はまなす〕を迎える、ということでした。
生まれて初めて北斗星に乗った後に迎えた夏でしたが、その頃の自分には、〔はまなす〕に乗ろう、という発想は1ミリもなかったのです。
案の定〔はまなす〕を存分に見ることができ、当時はそれで満足したわけですが、それが今となっては最大の後悔でもあります。
〔北斗星〕や〔カシオペア〕が高嶺の花というのは、まだわからなくもないでしょう。
ただ、〔はまなす〕はそんなことはないと思います。座席主体の夜行急行列車で、普通車自由席の設定もありました。乗車券・急行券の合計額はそれほど高額ではなかったはずです。
今振り返れば、あの2015年の夏は〔はまなす〕に乗る絶好のチャンスだったのに、乗らなかったということを1人の「乗り鉄」としてとても後悔しています。
それと同時に、この後悔こそが、自分は「乗り鉄」なんだと自覚した出来事でもありました。
Nゲージを買ってもらったこともありましたが、1回で飽きました。
線路沿いに出かけてコンデジで良い写真を撮ろうと試みたこともありましたが、すぐに飽きました。
やっぱり私は、「乗る」ことが好きなのです。
それからというもの、私は「乗る」ことにこだわってきました。
「乗れるうちに乗っとけ」とよく言います。もちろんお金も時間も無限ではないですから、乗りたい列車に100%乗れるかと言ったらそんなことはないですが、乗りたいと思ったらなるべく乗れるよう努力しています。
大学生になり、アルバイトを始め、経済的にも余裕が出てきました。
5年前10年前と比べたら、間違いなく「行動力」は上がっていると思います。
ただそれでももっと行動力を上げたいと思っているので、鉄道の旅を通じてどんどん新しいことに挑戦していきたいと思っています!
ブルートレインが運行されることは二度とないと思いますが、過去に思いを馳せつつ、過ぎたことはどうしようもないので、今ある鉄道を、楽しんでいけたら! と思っています。
今当たり前のように走っているN700系だって、E5系だって、いつかは引退する時が来るのです。その時に、後悔ではなく、思い出が浮かぶような鉄道旅行をしていきたいな、と感じています。
最近はコロナで思うように外出できず、その行動力を上げたり活かしたりする場面がないのが残念なことですが、またいつの日にか旅をできる日が戻ってくると信じて…。
以上、長くなりましたが、私の過去の後悔とそこから学んだことでした。(笑)