2023年1月22日(日)
今回やってきたのは静岡県の富士駅。北口のペデストリアンデッキからスタートです。
富士駅は東海道本線のほか、身延・甲府方面へと続く身延線の起点駅でもあります。
しかしこの身延線、かつては今と大きく様子が異なっていました。
現在は上図の青く描かれたルートで運行が行われている身延線。しかし1969年までは全く逆の方向から発車する赤色のルートで運行されていたのです。
身延線は今から110年前の1913年に「富士身延鉄道」として富士~大宮町(現「富士宮」)駅間で開業。その後延伸を重ね、1928年に富士~甲府駅間で全通しました。1941年には国有化され、戦後1964年には準急「富士川」の運行も開始されることになります。
当時は全線単線であった身延線ですが、1969年から1974年にかけて富士~富士宮駅間の複線化・高架化工事が進められました。その目的は大きく2つあり、1つは旧本市場駅付近で発生していた交通渋滞の緩和にあります。そしてもう1つは、富士宮市にある日蓮正宗の総本山「大石寺」参詣のための首都圏からの団体列車がスイッチバックをすることなく東海道本線から身延線へ直通できるようにということで考慮されたものでした。
この配線変更に伴い、それまで静岡方面から身延線へスムーズに入ることができていた直通列車はスイッチバックを余儀なくされることになります。これは現在でも続けられており、静岡~甲府駅間を身延線経由で結ぶJR東海の特急〔ふじかわ〕はスイッチバックのために富士駅で数分間停車します。
ともあれ、廃止から半世紀以上が経過した旧身延線跡地は現在どうなっているのか。
今回は実際に歩いてみて、当時の雰囲気を感じ取りたいと思います。
まずは富士駅の北口を出て、東の方向に歩いていきます。旅客と貨物の双方を扱う富士駅の構内は広く、まずは貨物のヤードと駐輪場に挟まれた駅前の通りを歩いていきます。
富士駅での貨物の取り扱いは今なお現役のようで、フェンス越しにたくさんのコンテナが積まれている様子が歩道からも見て取れます。
そこからさらに数分歩くと、道路から離れ左に大きくそれるカーブを見つけました。
製紙工場の間に挟まれ高い壁の立ちはだかるこの道は、工場の敷地内ではなく一般道。工場自体も相当古くからあるのでしょうが、その間を縫うように描かれたカーブは確かにここにかつて線路が通っていたことを私たちに知らせてくれます。
独特な臭いが漂う工場群を抜けると、その先は一瞬だけ道が広くなり住宅街へ。道としては続いているものの、目立った線路の痕跡などは特に見られません。
そして本市場駅の少し手前からは、廃線跡が「富士緑道」として整備されまっすぐと続いています。石垣や路肩の木々等は廃線後に整備されたものでしょうが、それにしても幅の狭さからかつて単線だったことははっきりと分かります。
県道396号線と交差するこの付近が、かつて「本市場駅」があったとされる場所です。おそらくここには踏切もあったのでしょうが、その名残は全く見られません。
富士緑道はまだまだ先へと続きますが、目の前に横断歩道がないため左右どちらかの交差点へいったん迂回し渡る必要があります。
廃線跡に整備された遊歩道の特徴として、「建物や民家の正面がこちらに面していない」というものがあります。この富士緑道もまさにその通りで、かつては線路だったわけですから民家の玄関や商店の入口がこちらを向いているはずがありません。市民の散歩やランニングコースとしては静かで便利な道です。
市街地ゆえ頻繁に他の道路と交差しますが、どの地点においても踏切の痕跡のようなものは見られません。さすがに半世紀以上も経過していれば無理もないことでしょうか。
裏を返せば、これほど多くの地点で道路と交差していたということがいかに「市街地での交通渋滞を招いていたか」とも言い換えられるわけです(当時はまだなかった道などもあるかもしれませんが)。
さらに歩いていくと「緑道公園」に出てきました。ここがちょうどかつての竪堀駅の位置です。現在の竪堀駅から東に400mほどずれたところにあります。
富士駅からここまで特に鉄道時代の痕跡はほとんど見られなかったわけですが、ここにきてついに「旧竪堀駅」という文字が見られるようになりました!
緑道公園を抜けてさらに歩いていくと、いよいよ現在の身延線の架線が見えてきました。合流地点の近くまでやってきた証拠です。
合流地点付近もまた公園のようになっており、そばには大きな案内図が掲げられています。そこには確かに「国鉄身延線の跡地です」と書かれていますが、廃線となった理由のところには「複線化と市街地内の交通渋滞解消のため」とのみ書かれており、宗教的な理由の直接の記載はありません。
富士緑道は「潤井川」とぶつかる箇所で終了しており、この先は現行の線路のみが身延・甲府方面へと続いています。廃線探訪はここまでとなります。
思えば、かつてこの線路が「単線」であったことは緑道の幅の狭さから感じ取ることができたものの、それ以外に線路の跡やホーム跡などこれといって目立った鉄道遺構はほぼありませんでした。電化開業後の廃線ですから架線柱が1本くらい残っていても不思議ではないと思いますが、やはりそうした部分も含め半世紀以上に渡る市街地の開発の過程で撤去されてしまったのでしょう。
合流地点から富士駅へ戻るには、線路沿いを歩いて現在の竪堀駅まで来るのがベターです。1つ甲府寄りにある「入山瀬駅」は潤井川を渡ってさらに相当な距離を歩くことになります。
移転後の竪堀駅は高架化された2面2線の相対式ホームの駅。JR東海らしく案内サイン類は簡素なデザインですが、利用の上ではシンプルで使い勝手がよさそうです。
竪堀16時14分発のワンマン列車 富士行へと乗り込みます。約3時間前に甲府駅を出発してきたロングラン列車です。
竪堀駅と富士駅の間にある「柚木駅」は、本市場駅の代替として設置された駅にあたります。しかし本市場駅からは直線距離でも1km以上離れており、かつての駅近くに住んでいた人にとってはやや不便になってしまったと言わざるを得ません。
というわけで16時20分に終点の富士駅へ帰着。
廃線跡の徒歩自体はそれほど距離も長くなく、全区間ゆっくり歩いても1時間程度なのでちょっとした散策にもオススメです!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。