わたかわ 鉄道&旅行ブログ

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【34年の歴史に幕】キハ85系定期運行ラストラン 魂の3時間45分[名古屋→新宮]

 

2023年6月30日(金)

2023年、上半期の最終日。本日は愛知県の名古屋駅へとやってきました。

今夜「キハ85系」がその長い歴史に幕を下ろすこととなります。

キハ85系は、主に特急〔ひだ〕および〔南紀〕として四半世紀以上に渡り活躍してきたJR東海の特急気動車です。1989年に〔ひだ〕として、その後1992年に〔南紀〕としてそれぞれ運行を開始しました。

しかし時代とともに車両の老朽化が進み、2022年7月からは〔ひだ〕で新型車両HC85系の運行が開始。約9ヵ月をかけて順次車両が置き換えられ、2023年3月のダイヤ改正をもって〔ひだ〕での定期運用を終了しました。

そして残る〔南紀〕もHC85系の導入が発表され、キハ85系は本日(2023年6月30日)をもって定期運用を終了することとなります。〔南紀〕では一夜にして全ての車両がHC85系へと置き換えられる予定で、名古屋駅構内には〔南紀〕でのHC85系デビューを知らせるポスターがあちこち掲示されていました。

34年間に渡り運行されてきた「キハ85系」。その定期運行ラストランとなるのが、本日名古屋19時45分発の特急〔南紀7号〕新宮行です。〔南紀〕は基本的に関西本線伊勢鉄道紀勢本線経由で名古屋~紀伊勝浦駅間を結んでいますが、夜の下り便およびその折り返しとして運行されている朝一番の上り便のみ新宮発着となっています。

特急〔南紀7号〕が発車する名古屋駅12番線ホーム上には、私を含め多くの鉄道ファンが押し寄せています。ただし12番線には先行する19時35分発の普通列車(桑名行)が停車しており、その間にキハ85系名古屋駅構内で待機し、最終運行に備えます。

そして19時40分頃、岐阜方より「キハ85系」が遂に姿を現しました。

12番線ホーム上はもちろんのこと、向かいの11番線ホーム上も含めて大変多くの鉄道ファンがカメラを向けています。

2020年以降は2両で運行されることも多かった〔南紀〕ですが、本日この最終列車は堂々5両編成での運行となります。前から順に5~2号車が指定席、1号車が自由席でグリーン車は連結されていません。

車両の先頭部分には、四角い「南紀」のヘッドマークが煌々と輝いています。営業列車としてのこの姿を名古屋駅で見ることができるのも、今この瞬間が最後になると考えると何だかまだラストランという実感は湧きません。

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19時51分頃、定刻よりも6分ほど遅れて名古屋駅を発車。大雨の影響で遅延が発生していた中央線からの乗り換えを待っての発車となりました。

34年間に渡り営業列車として発着してきた名古屋駅に別れを告げ、紀伊半島を南下する最後の旅路の始まりです。

私は今回、先頭車両5号車の指定席窓側に乗車。名古屋を発車する時点では窓側・通路側を含めほぼ満席となっており、その大半は私を含め鉄道ファンのようでした。

途中停車駅は桑名、四日市鈴鹿、津、松阪、多気、三瀬谷、紀伊長島、尾鷲、熊野市です。起終点がそれぞれ愛知県と和歌山県であるものの、途中の停車駅は全て三重県内にあります。

列車は名駅に到着。まだ名古屋を出てから20分ほどですが、かなりのお客さんが降りていかれました。その多くは中高生をはじめとする若い鉄道ファンの方だったようです。

対向のホームには、キハ85系の上りラストランにあたる特急〔南紀8号〕名古屋行の表示がありました。桑名で降りた方の中には、ここで〔南紀8号〕へと乗り換え名古屋に引き返すことで「上り・下り両方のラストランに立ち会うことができる」という考えの方もおそらくいらっしゃったのだろうと思います。

続いて列車は四日市駅へと到着。四日市に到着する手前で先ほどご紹介にいれた〔南紀8号〕とちょうどすれ違いました。

四日市を出てしばらく進んだところにある「河原田」という駅を出ると、線路が二手に分かれます。〔南紀〕が進むのは伊勢鉄道で、亀山駅を経由するよりも短い距離で、かつ進行方向を変えることなく運行することができます。

四日市でさらに車内も空きましたので、ここで少し車内を見ていきます。

座席はクッション性の高い座り心地で、通路部分から少しだけ高くなっており、眺望が楽しめるよう工夫されています。各座席に背面テーブルがあるほか、近年になってフリーWi-Fiも完備されました。ただしコンセントはありません。

本日のように、先頭車両がさらに他の車両と連結されている場合、連結部分では車内からヘッドマークを間近に見ることができます。明日からも引き続き列車名としては〔南紀〕で運行されますが、HC85系ではヘッドマークを掲げることもないため、営業列車でこれを見れるのも今回が最後となります。

伊勢鉄道線内での唯一の途中停車駅は鈴鹿。遅延が回復する様子はなく、定刻よりも概ね7分程度遅れて走行しています。

20時49分頃、定刻よりも7分ほど遅れて津駅を発車。一瞬でしたので分かりにくかったですが、ホーム上では盛大なお見送りが行われていました。ここからは再びJRに戻り、紀勢本線を走行していきます。

松阪駅では鉄道ファンのみならず「駅弁のあら竹」のスタッフの皆様からも盛大なお手振りをいただきました。時刻は21時を過ぎ、これより先の区間で乗車する人はほぼ全員が終点の新宮まで乗り通すのだろうと思われます。

松阪駅では、今回も「駅弁の積み込み」を利用しました。これは前もって「駅弁のあら竹」さんに電話で連絡を入れておくと、松阪駅停車中にホーム上で代金と引き換えに駅弁を受け取ることができるというサービスです。通常この〔南紀7号〕の時間帯には行っていないものですが、本日はラストランということで特別にこの時間帯でも実施されました。

様々な名物駅弁があることでも知られる「駅弁のあら竹」さんですが、私は今回も「黒毛和牛 牛めし」(1,700円)を予約。これまで「JR東海最長片道切符の旅」(2020年)をはじめ数回利用してきましたが、いつも決まって私はこのお弁当を注文しています。「キハ85系の車内で黒毛和牛牛めしをいただく」という体験をこれまでに何度もしてきただけに、それができるのも今日が最後か…とここでいよいよ運行最終日であることの実感が湧いてきました。もちろんこのサービス自体はHC85系に変わっても引き続き行われますので、また機会のある時に利用したいと思います。

多気ホーム上の発車標には、しっかりと「5両」という表示がなされていました。キハ85系・HC85系のいずれであっても柔軟な組成が可能ではありますが、HC85系の場合は必ず偶数両での運行となりますので、この光景も本日で見納めです。

鉄道ファンのみならず駅員さんや地元の方も含め、盛大なお手振りに見送られて多気駅を発車。終点の新宮まであと残り約140kmほどとなります。

そして名古屋を出てからここまで一度たりとも流れなかった「ワイドビューチャイム」ですが、何と三瀬谷駅到着前に初めて流れ、車内からはちょっとした歓声も沸きました!

これぞキハ85系、これぞ”特急ワイドビュー南紀”です。

8分遅れながらも順調に走っていた矢先、何と滝原~阿曽駅間で列車が鹿と衝突。鈍い音とともに列車が急停車し、すぐに安全確認が行われました。幸いここで足止めとはならず、約13分後に列車は運転を再開。ラストランというのに、大雨やら衝突やらで踏んだり蹴ったりです。

紀伊長島を定刻よりも24分ほど遅れて、22時21分頃に発車。次の尾鷲駅では少し回復し、それでも21分遅れでの発車となりました。沿岸部を走りますが、もはやこの時間帯ともなりますと辺りは真っ暗で何も見えません。

最後の途中停車駅である熊野市を発車し、次がいよいよ終点「新宮」となります。

ラストランではあるものの、車内がとんでもなく混雑しているという様子はなく、乗車率は概ね50%程度といったところでしょうか。

 

本日まで34年間に渡り運行されてきた「キハ85系」。私が何としてもそのラストランに立ち会いたかったのには、理由があります。

それは、私にとってこの「キハ85系」が生まれて初めて乗った気動車特急だったからです。

首都圏で生まれ育った私にとっては、「鉄道」というと全て「電車」でした。首都圏には非電化路線が極めて少なく、したがって気動車に乗ることのできる機会はそう多くありません。またJR東日本管内には気動車特急が一切存在せず、電車の静かな走行音が当たり前でした。

そんな私に転機が訪れたのは、2014年11月。当時中学生だった私は、宿泊行事で和歌山県紀伊半島を訪れていました。その最終日、新宮から名古屋まで特急〔ワイドビュー南紀6号〕に乗車することになったのです。

それまでも鉄道ファンではありましたので、首都圏の電車特急に乗ったり見たりする機会はたくさんありました。しかし新宮駅の3番線ホームにいざ入線してくるキハ85系の姿は、首都圏のそれとは全く異なるもので、気動車特急ならではのけたたましいエンジン音に大きな衝撃を受けたのを今でもはっきりと覚えています。

新宮から名古屋まで、約3時間半の旅。周りの友人の多くは移動の疲れもあり終始爆睡している中、私はそのあまりのカッコよさと新鮮さに魅了され、名古屋まで一度も目を閉じることなく楽しんでいました。

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この日以来、私は全国各地の特急列車に幅広い興味を抱くようになりました。最近では2022年に「特急リレー最長片道切符の旅」を実施するなどもありましたが、そうした諸々も全てこの2014年に乗車した〔ワイドビュー南紀6号〕から始まっています。

もしあの日キハ85系に乗車していなければ、今でも気動車特急にそれほど深い興味を抱くことはなかったかもしれません。不思議なもので、大人になってから体験するよりも10代までのうちに経験するものごとの方が心に深く刻まれ、その後の人生に大きな意味をもつものとなることが多い気がします。

まだまだ日本には、乗ったことのない列車がたくさん存在します。新しいものとの出会いは今後も記憶に刻まれるものとなるでしょうが、9年前のあの日のキハ85系のけたたましいエンジン音に勝るものはないかもしれません。

23時36分頃、終点の新宮駅へと到着。定刻よりも約22分遅れての到着となりました。

これにてキハ85系、34年間に渡る定期運行の歴史に幕を下ろすこととなります。

このホームにはまもなく新大阪からの特急〔くろし27号〕が入線するため、乗客を降ろしたキハ85系はすぐに名古屋方へと回送されます。

しかし何と驚いたことに、発車標を見てみますと「回送9014D 23:35 名古屋 3」の文字。

何と先ほど営業運転を終えたばかりのキハ85系は、改めて3番線へと入線したのち、夜のうちに来た道を回送列車として引き返すようなのです。

急いで3番線に移動。ほぼ同じタイミングで、先ほど回送されたキハ85系が改めて新宮駅へと入線してきました。夜遅い時間帯ですが、まだ多くの鉄道ファンがホーム上で残っています。

通常であればこの編成が翌朝の〔南紀2号〕へと充当されるわけですが、もうその役目を果たすことはありません。裏を返せば、翌朝このホームからは真新しい「HC85系南紀」の一番列車が名古屋へ向けて発車していくことになります。

3番線には少しの間ですが停車しておりましたので、ここでキハ85系との最後の別れを惜しみます。思えば9年前、私のキハ85系との出会いの場もここ新宮駅3番線ホームでした。何事も始まりがあれば終わりがあるというもので、今回はその場所から「キハ85系 真のラストラン」を見送って締めくくりたいと思います。

キハ85系、34年間本当にお疲れさまでした。

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。