2022年5月4日(水)
今回やってきたのはJR四国の徳島駅。県内に”電車”が1本も走っていないながら立派な駅舎を持つことで知られる、徳島県の中心駅です。
今回は、かつて牟岐線の途中から分岐していたとある路線の廃線跡を歩いてみたいと思います。
まずはその路線との分岐駅へと向かうべく、徳島14:00発の牟岐線 阿南行に乗車していきます。
牟岐線は徳島~阿波海南駅間を結ぶローカル線。その路線名自体はお世辞にも全国的な知名度がそれほど高いとは言い難いですが、パターンダイヤの導入や末端区間のDMV化、並行する徳島バスとの連携など交通政策の観点からは非常に興味深い取り組みをいくつも行っている路線でもあります。2019年春のダイヤ改正からスタートした徳島駅毎時00分・30分発のパターンダイヤのおかげで非常に分かりやすいダイヤとなり、特に途中の阿南までの利用は非常に多いのが特徴です。
大型連休真っただ中のこの日も、列車は超満員の状態で白昼の徳島駅を発車。たった1両での運行ですので混雑するのも無理はないですが、とはいえ今後の動き次第ではさらに化ける可能性をも秘めていそうな気がします。
徳島駅には自動改札機がなく、またICカードも利用不可能ですので、券売機で購入した乗車券に入鋏印を入れていただいています。
乗車すること15分、中田駅に到着。ワンマン運転ですので運転士さんに乗車券を渡し、ホームへと降り立ちます。
一見すると何の変哲もないただの島式ホームの駅。「なかた」ではなく「ちゅうでん」と読むこの駅こそが、今回の廃線探訪のスタート地点となります。
今回ご紹介する廃止路線は旧国鉄「小松島線」。1913年に小松島軽便線として開業したこの路線の歴史は牟岐線よりも古く、まもなく国有化されて徳島~小松島駅間が「小松島線」となりました。かつて四国への重要な玄関口であった小松島港への航路連絡を目的として敷設され、1940年には航路利用客の利便性向上を目的として小松島駅近くに「小松島港仮乗降場」まで設けられるほどでした。
戦後、1961年に小松島線のうち徳島~中田駅間が「牟岐線」へと統合されたことで小松島線は中田~小松島駅間1.9kmのみとなり、「国鉄最短路線」ともなりました。小松島駅へは戦後も優等列車の直通運転があったものの、本州~四国間の移動手段が多様化されていったことに伴い小松島線の利用客は激減し、最終的には国鉄末期の1985年に廃止されることとなりました。
中田駅構内には、いつから使われているのか分からない相当古そうな駅名標が雨ざらしで設置されていました。両隣の駅が「地蔵橋」と「南小松島」であったことは当時も今も変わりませんが、何故か「みなみこまつしま」が2個も書かれているのかは謎です。もしかすると上の方は元々「こまつしま」という表記だったものに後から「みなみ」の文字を付け加えたのでしょうか(そんなことをするくらいなら「こまつしま」の文字は消せばよいのでは…)?
中田駅自体は、良くも悪くもそれほど大きな特徴はないただの無人駅です。少なくとも、ここが37年前まで分岐駅であったことは言われなければまず分かりません。
しかしその駅舎の左側、駐輪場を抜けた先に目をやってみると、何やら線路と並行する怪しげな遊歩道が。ここを歩いていくと、すぐに牟岐線の線路と分かれ小松島線に続いていくようです。
かなり日射しのきつい炎天下ではありますが、早速歩いていくことにしましょう。
歩き始めて数分、踏切があるところで牟岐線と小松島線が左右に分かれていたようです。牟岐線の線路が右(南小松島方面)へカーブを描くのに対し、こちら小松島線は遊歩道がまっすぐ続いています。
この遊歩道は概ね綺麗に舗装されており、すぐ隣を走る道路よりも直線的な線形であることが当時の姿を物語っています。
遊歩道の途中には、このように道路より少し高くなっているところがありました。道路と遊歩道の間には柵があり、遊歩道の方が階段数段分高いようです。一見すると不思議な構造にも思えますが、おそらく鉄道の線路が敷かれていた場所が一様に平坦だったために、それが道路よりも少し高い位置にあったことの名残ではないかと思います。
似たような構造は横浜駅みなみ西口にもあり、ドン・キホーテやビブレの方向へ歩いていく途中に歩道と車道の段差が大きく開いている箇所があり、かつて貨物か何かの線路が敷かれていた名残と言われています(超地元ネタですみません…)。
前方に見覚えのある大きなロゴが見えてきました。「スーパーホテル徳島・小松島天然温泉」です。周辺に高い建物があまりないことから、遠くからでもはっきりと確認できます。
途中には道路と交差する横断歩道もありました。
もしこの道路が小松島線の存在していた頃からあるとすれば、ここは踏切だったのかもしれません。しかし今現在では特にそのような痕跡は見当たりませんでした。
スーパーホテルやしまむら、コーナン等の見覚えのある大型ロードサイド店舗群を抜けしばらくすると、「中田駅より1,200M」の小さなプレートがありました。
廃線探訪の魅力の一つに「途中駅の跡地」を楽しむことがありますが、先ほどもご紹介した通り小松島線は途中駅を造るほど長い路線ではなかったため、そうした遺構は特にありません。
そこからまもなくすると視界が大きく開け、遊歩道は終わりとなります。画像には映っていませんがこのすぐ右側に「日本赤十字社徳島赤十字病院」という巨大な病院があり、比較的交通量の多い交差点に面しています。
「これで廃線探訪終わり!?」と思ったそこのあなた。実は興味深いのはここから先なんです。
遊歩道からさらに先へそのまま歩いていくと「小松島ステーションパーク」という公園があります。名前からも分かる通り、ここがまさにかつての「小松島駅」のあった場所で、広大な鉄道用地が公園へと生まれ変わっています。
中へ入ってみると…何とそこには「小松島駅」のホームがありました!!
公園のど真ん中に1面1線のプラットホームとSL。ホーム上の屋根にははっきり「小松島駅」と書かれた看板が確認できます。
SLとその後ろに繋がれた客車は雨ざらしで屋根もなく、相当朽ち果てている模様。ただし客車の車内はかなり綺麗な状態で、後から手が加えられたように見えます。
客車の背後に回ってみると、そこには間違いなく「日本国有鉄道」のプレートが取り付けられています。
実はこの小松島駅ホームのモニュメントは、かつて線路があった方向と垂直に交わるように公園内に設置されており、厳密に言えば当時の小松島駅そのままというわけではなさそうです。とはいえ貴重な光景を今の時代でも目にすることができるのですから、ここにかつて鉄道が通っていたことの証に他なりません。
公園を出て少し左にカーブを描いていくように歩くと、かつて小松島駅よりもさらに先にあった「小松島港仮乗降場」の辺りへと進むことができます。現在の「小松島新港」とよばれるエリアです。
ここでも特段何か鉄道関係の遺構と分かるものは見当たりませんが、現在でも徳島バスの終点「小松島港バス停」があり、立入禁止の看板の先では路線バスが転回できるようになっています。
ここで何とも興味深かったのは、色褪せた「南海フェリー」の看板。現在では和歌山港~徳島港を結ぶことでおなじみの南海フェリーですが、1999年まではここ小松島港も発着して本州の和歌山港へと結んでいました。国鉄小松島線はまさにそうした徒歩乗船客のニーズに応えるべく37年前まで運行されていたわけですが、この緑色の看板こそがその何よりの証拠とも言えます。
「乗船客P」と書かれた矢印の先は今も駐車場として使用されていましたが、どうやら南海フェリーのものではなくなっているようです。
そこから南へ少し歩くと、すぐに牟岐線の南小松島駅へとたどり着きます。小松島駅なき今、小松島市の中心駅と位置付けられている主要駅です。
時刻表を確認すると、初めにもご紹介した通り上下線とも綺麗な30分間隔でのパターンダイヤであることがよく分かります。単線非電化の地方ローカル線でありながら、日中でも毎時2本が確保されているのはかなり珍しい例のような気もします。
中田駅から南小松島駅までぐるっと歩いてもそこまで長くありませんので、気になった方は是非訪れてみてください!
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。