みなさんこんにちは! わたかわです。
今回は、東急東横線の廃線探訪をしてきましたのでその様子を前編・後編2回に分けてお届けします!
新型コロナの緊急事態宣言も先日解除され、以前の記事でお示しした通りの方針に従って徐々に旅行を再開していきたいと思っております。
今回はその方針にのっとって実施した、記念すべき1発目の旅行です!
まぁこれは鉄道旅行というのとはちょっと違いますが…趣味目的での外出という意味で、これを読んでいるみなさんにもお楽しみいただけるかなと思います!
今後は旅行再開方針にのっとって、本格的な鉄道旅行も順次再開していきたいと思いますのでご期待ください!
↓↓↓旅行再開方針についてはこちら↓↓↓
2020年6月7日(日)①
今回は、東急東横線の廃線跡をひたすらに歩き通していく廃線探訪です!
まだ神奈川県内であっても、鉄道に乗りまくるような旅行はちょっとコロナ感染のリスクが怖いので、徒歩をメインとする鉄旅です。
地元から、京急に乗車して日ノ出町駅に到着。時刻は14時半過ぎです。とにかく暑い。
ここから、まずはスタート地点の桜木町駅まで歩きます。徒歩10分ほどと意外に近いので、京急沿線から根岸線やみなとみらい線を使わずにみなとみらいへ行きたいと思ったら日ノ出町駅で降りることをオススメします。
そして、桜木町に到着。いよいよ廃線探訪ウォークがスタートです。
その前に、まずは今回の廃線について簡単にご紹介します。「東急東横線が廃線とは何ぞ?」という方もいらっしゃると思うので。
現在、東急東横線といえば、渋谷~横浜駅間を結ぶ東急電鉄のドル箱路線です。渋谷から先は東京メトロ・東武・西武に直通して東京から埼玉にかけての広いエリアへ乗り換えなしで結べるようになりましたし、逆に横浜からは横浜高速鉄道みなとみらい線に直通して元町・中華街まで線路が繋がっています。
かつては、東急東横線が横浜を越えて桜木町まで運転していました。東急東横線は渋谷~桜木町駅間をただひたすらに往復するだけの路線だったのです。横浜~桜木町駅間には途中駅として「高島町駅」もあり、東急東横線は全線が地上または高架区間でした。
しかし、2004年2月1日にみなとみらい線が横浜~元町・中華街駅間で開業すると、東急東横線はみなとみらい線との相互直通運転を開始するようになります。みなとみらい線は全区間で地下を走る路線ですから、これに合わせて東急東横線の横浜~桜木町駅間は廃止され、それまで地上にあった横浜駅と反町駅は地下化されたのです(東急東横線横浜~桜木町駅間の最終運行日は2004年1月30日で、翌31日は東急東横線の全列車が渋谷~横浜駅間のみの折り返し運行となりました)。
今回は桜木町駅から東白楽駅手前まで歩き、大都会・横浜のど真ん中で東急東横線が走っていた名残を辿る廃線探訪をしていこうということです。
それでは、まず桜木町駅から見ていきます!
桜木町駅は、現在ではJR根岸線と横浜市営地下鉄ブルーラインのみが通る駅ですが、このほかに東急東横線が始発駅としていました。
桜木町駅から野毛山周辺にかけては「野毛ちかみち」と呼ばれる地下道があります。桜木町駅に最も近い北1番出口の方面を見ると、「JR線・ 桜木町駅」と何やら不自然な空白が。そして下を見ると、はっきりとローマ字で「Tokyu」の文字が残っています。これは紛れもなく、かつて桜木町駅に東急東横線がやってきていた証です。廃止後、日本語は剥がしたものの、ローマ字は剥がし忘れたということでしょうか。剥がし忘れてからもう16年も経つということになります。海外の方が混乱するでしょうから早く剥がしましょう(笑)。
桜木町駅の西側(日ノ出町・野毛山側)に回り込んでみると、かつて東急東横線の駅舎・ホームがあったと思われる場所には駅ビル「CIAL桜木町」が建っていました。そして写真の左側に少し見えている高架橋が、かつての東急東横線の高架橋ということになります。
ただCIAL桜木町を造ってもなおスペースは余っていて、かつてはこのスペースに1面2線の頭端式高架ホームがあったものと思われます。
そして、高架線の一部分が、現在は遊歩道として整備されています。ただ遊歩道といっても現在完成している区間はごくわずかで、端から端まで歩いても1~2分程度しかありません。
駅の目の前から遊歩道に上がる階段・スロープが整備され、紅葉坂交差点を跨ぐとすぐに遊歩道は終わります。実際にはその先も廃線跡の高架橋は続いているのですが、フェンスで塞がれ立ち入れなくなっています。さらに先まで遊歩道が整備される予定かどうかはわかりませんが、是非とも歩いてみたいものです。
ここから先はしばらく歩道を歩くことになりますが、ずっと高架橋の真下を歩くことができます。国道16号線と東急東横線廃線跡がずっと並走しています。
桜木町~高島町駅間が地味に長いのですが、この単調な道をひたすらに歩いていきます。
高島町駅手前まで来ると、何やら気になる文字が。
そこには、高架線にすっぽり収まるかのように、「R16スタジオ」という文字があります。実はここ、東急東横線の廃線高架下を活用したアートスタジオのようなんです。普段は芸術家の方々がここで作品を造るスペースとして活用し、イベント時には開放するという場所のようで、この時は全く人気がありませんでした。高架橋を支える柱ごとに部屋が区切られていて、そのそれぞれの部屋に造りかけの作品のようなものがあります。
言葉を選ばず表現するなら、何も知らずに素人がここに近づいた時はちょっと不気味さや廃墟感すら覚えますが、それにしてもこんなスペースが横浜のど真ん中にあるとは驚きです。
このR16スタジオを過ぎると、高島町駅跡地へと到着します。高島町駅というのは、現在横浜市営地下鉄ブルーラインの駅で存在しますが、2004年1月まではこの傍に東急東横線も駅があったということになります。
現在は工事現場のパーテイションで塞がれ、中はほとんど見えなくなってしまっていますが、ここがかつての駅入口のようです。ホームは高架で、1面2線の島式ホームでした。
パーテイションの隙間からチラッと覗いてみると、駅舎内は現在このような感じ。いろいろと物が散乱していて、廃止後とりあえず一通り駅舎内を取り壊してそのままといったところでしょうか。
また、こちらは別日にJR根岸線の車内から撮影した写真です。JR根岸線のすぐ隣を東急東横線が走っていたので、このように現在も高島町駅ホームの跡がしっかり残っていることがよくわかります。駅名標やホーム上の構造物等は既に撤去され、線路も剥がされていますが、駅舎へと降りる階段があることがよくわかります。また、階段の脇には、「元町・中華街⇔渋谷 直通運転!」と書かれたポスターまで貼ってあり、当時のまま16年間雨風にさらされながら残っていることがよくわかります。
東急東横線の高島町駅の現役当時の様子は、以下のサイトで詳しく紹介されているので、是非ご覧になってみてください。
また、その高島町駅跡の目の前にはマンションがありますが、そのマンションの中に「二代目横浜駅基礎等遺構」があります。現在の横浜駅は三代目で、初代が現在の桜木町駅、そして二代目の横浜駅はこの高島町にありました。1915年にこの高島町の地で二代目横浜駅が開業しましたが、わずか8年後に関東大震災で焼失します。そして1928年に現在の場所で横浜駅が誕生したということで、二代目横浜駅は短命に終わった「幻の横浜駅」とも呼ばれています。
駅の大部分は焼失したものの、その一部分が現在もこのように残されています。マンションの敷地内ですが、ここは誰でも立ち入って見学できるようになっています。
高島町駅跡より先は、しばらく線路に沿って歩くことは難しくなりますが、続いては横浜駅へと向かって歩いていきます。
…が、今回はここまで!
横浜駅周辺・反町駅周辺も歩きましたが、続きは後編でお届けしていきます。
今回もお読みいただきありがとうございました!
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