2023年1月29日(日)
中目黒駅は東急東横線のほか、東京メトロ日比谷線の列車も発着しています。2面2線の高架ホームで、外側の1・4番線が東急東横線、内側の2・3番線が東京メトロ日比谷線のホームです。
実は、日比谷線はかつて東急東横線との相互直通運転を実施していました。その歴史は古く、1964年8月の日比谷線全通時に一部の列車が東横線日吉駅までの直通運転を開始したことに始まります。
1988年からは直通列車が菊名発着へと延長。本数は限られるものの、混雑する朝の渋谷駅で乗り換えをすることなく都心部に直接アクセスできる強みは東横線沿線の通勤通学客から絶大な支持を得ていました。
しかし、2013年3月に東急東横線は新たに東京メトロ副都心線との相互直通運転を開始。これに伴い、1964年から半世紀近くに渡り続けられてきた日比谷線との直通運転に終止符を打つことになったのです。
中目黒駅の横浜方を見てみますと、今でも日比谷線の線路が東横線と繋がっていることが分かります。一応現在でも物理的には東横線との直通が可能…なようには見えますが、特にそのような復活計画や予定はありません。
現在もなお中目黒駅においては、東横線と日比谷線を対面ホームで乗り換えることができる構造となっています。明確にどの列車がどの列車との接続を取る…というところまで決まっているのかどうかは定かではありませんが、東横線・日比谷線のどちらも本数が極めて多いため、接続を考慮せずともこの中目黒駅のホームではそれほど長く待つことなく乗り換えが可能となっています。
日比谷線のホーム上にある発車標には丁寧に「当駅始発」の文字が出ていますが、3番線から発車する列車は例外なく全て当駅始発の日比谷線です。逆に2番線は日比谷線の「降車専用ホーム」という扱いになっています。
2013年3月の副都心線直通開始以降、実に多彩な行先が見られるようになった東急東横線。その一方で、渋谷駅の地下化によりそれまで地上に設けられていた高架線は廃線となり、営業終了からまもなく10年の節目を迎えます。
今回は廃止から約10年を迎えた東横線の地上区間を実際に歩き、当時の面影やこの10年での様子の変化を見ていきたいと思います。
中目黒駅から歩くには少々距離がありますので、まずは一つ隣の代官山駅まで移動します。乗車するのは11時19分発の各駅停車 渋谷行です。
副都心線との相互直通運転開始後も、東横線の一部列車は引き続き「渋谷行」として運行されています。その文字の並びからは2013年以前の東横線の雰囲気を感じ取ることができる…かと思いきや、やってきたのは副都心線の17000系。丸いライトが特徴的で、2021年2月にデビューしたばかりの最新型車両です。みなとみらい線・東横線内のみで完結する運用にもかかわらずメトロ車が充当されるのは何とも面白いところです。
ものの1分ほどで代官山駅へ到着。
2面2線の相対式ホームで、停車するのは各駅停車のみ。この駅の構造や場所自体は2013年以前から変わっておらず、東横線の線路はこの先で地下へも潜る構造となっています。
駅周辺にはお洒落なカフェや雑貨屋さんのほか、各国の大使館が集まっていることでも知られています。また高級そうなマンションも立ち並び、なかなか住むにはハードルが高そうな街です(笑)。
それでは、いよいよ渋谷駅へ向けて歩いていくことにしましょう。
ホームを跨ぐ歩道橋からは、既に渋谷駅周辺のビル群も見えるほど。代官山~渋谷駅間の営業キロはわずか1.5キロです。
今回の歩行ルートはご覧の通り。ほぼ線路跡に沿って歩く形となります。
廃線から10年が経過した今、果たしてどのくらい鉄道の名残を感じることができるのでしょうか…?
線路の西側を歩いていくと、ちょうど地上から地下へ潜る場所へとやってきました。このトンネルより先は渋谷までずっと地下区間になります。
かつては地上および高架区間が続いていた渋谷~代官山駅間。ダイヤ改正前日の2013年3月15日夜まで地上の線路を用いての営業運転が行われ、終電後のわずか数時間のうちに「STRUM工法」と呼ばれる方式を用いて地上線から地下線へと切り替えられました。
そうなると当然のことながら地上で線路が敷かれていた土地は余るわけですが、ここが現在では何と「ログロード代官山」と呼ばれるお洒落なショッピングストリートへ様変わりしています。
東横線廃線から2年後となる2015年に誕生したこの施設。建物と建物に挟まれた細長い土地に、いくつものカフェやレストラン等が立ち並んでいます。鉄道遺構としての線路そのものの跡などはほとんどありませんが、線路を思わせるロゴデザインであるところや「ここはかつて東横線の電車が走っていた跡地です」という説明書きもあることなどが鉄道ファンにとってはアツいポイントではないでしょうか。
200メートルほど続いたログロードを抜けると、道路を渡った先が駐車場になっています。
不自然にこの空間だけ建物がなく向こうまでスパっと開けていることから、ここにかつて東横線の高架橋があったことは明らかです。上の画像は代官山方面から渋谷方面を見ており、目の前を斜めに横切る道路とは踏切ではなく立体交差だったものと思われます。
駐車場を突っ切ることはできなかったので右の道へと迂回すると、その先には埼京線・湘南新宿ライン等が走るJRの線路が見えてきました。ちょうど良いところに跨線橋もあったので、反対方向へと渡っていこうと思います。
位置関係を地図で確認するとご覧の通り。画像左下から右上にかけて走る細い黒線は現在の東急東横線(地下区間)ですが、地上を走っていた時代もこれとほぼ同じ場所を走っていたものと思われます。
JR各線の線路は地上のため、かつてはその上を東急東横線の高架橋が覆いかぶさるように架けられていたものと思われます。
この歩道橋、ちょうど私が訪問した1月29日を最後に約5年間の架け替え工事へと突入するようでした。かなり古くからあるのか、傷みがひどくなっています。右側の看板には「歩道橋一部通行止め」とあるので完全に渡れなくなっているわけではなさそうですが、もしここを渡れないとなると周囲へ迂回しなければならず少し大変です。
歩道橋を上がると、ちょうど渋谷駅周辺のビル群を見渡すことができます。東急東横線の高架橋は上の画像の左から右にかけて走っていたと思われ、JRの線路4本を跨ぐと左へ大きく急カーブを描いていました。
この辺りでも東急東横線の遺構のようなものは一切なく、10年で完全に取り払われています
歩道橋を渡り切り、JRの線路の東側へと出てきました。ちょうど目の前にそびえるダークグレーの細い「渋谷ブリッジ」と呼ばれる建物は、先ほどのログロード代官山に続き東急東横線の廃線跡に建てられた建物です。
東急東横線の高架橋を取り払い、ちょうど渋谷方面へと向かう左カーブの途中に建てられたのがこの「渋谷ブリッジ」です。用途としては基本的にテナントビルで、現在はオフィスをはじめ保育園やホテル等が入居しています。
壁面に描かれた地図には、渋谷駅を示す黒い影があります。その形は東急東横線のホームが地上2階にあった頃の構造そのままで、まるで今でも東急東横線が現役で地上を走っているかのようです。
渋谷ブリッジの1階部分は途中から通り抜けができるような構造になっており、この左カーブはまさに東急東横線の走っていたルートそのままです!
進行方向左側にある柱の番号はかつて東急東横線の線路を支えていた橋脚の番号かと思われます。79から始まり、渋谷駅に近づくにつれだんだんと番号が小さくなっていきます。
通り抜け部分の途中には天井から時計が掛けられており、何となく鉄道駅の雰囲気も感じることができるので、もしかするとかつて東急東横線のどこかの駅で使われていたものかもしれません。
柱の部分には、高架橋の上を走る東急東横線とともにあったこの地域の人々の日常のひとコマを切り抜いたほっこりするアート作品が並びます。柱ごとにそれぞれ異なる作品になっているので、在りし日の東急東横線の姿が鮮明に浮かんできます。
渋谷ブリッジを抜けると、いよいよ鉄道遺構としての性格が強いエリアへ突入していきます。目の前は公園のようになっており、右側は渋谷川が流れています。
八幡通りと交差するこの位置には、何とかつての橋脚の一部がそのまま残されています!
番号を見てみると、目の前のものが61番、そして八幡通りを挟んで渋谷駅側にあるものが60番と記されています。おそらくこれは2013年まで確かに現役で使われていた橋脚そのものでしょう。
実はこの付近には、かつて「並木橋駅」という東急東横線の駅が存在していました。周辺の大学・高校等への通学への利便性向上を目的として1927年に設置されたものの、1945年5月の空襲で駅舎は全焼。20年にも満たない営業期間の後、1946年に正式に廃止となりました。
廃止から80年近くが経過した今、残念ながらこの駅の遺構自体はほぼありません。しかしこの場所には今でも渋谷川に架かる「並木橋」が存在しており、その名を今に伝えています。
並木橋の上から渋谷川を眺めると、渋谷駅周辺の真新しいビルとそこから少し離れた位置に昔からある建物や川の存在を対比することで、再開発の進む渋谷の街を象徴する光景が広がります。
渋谷川に沿って整備されているこの遊歩道は「渋谷リバーストリート」と呼ばれ、ちょうどまさに東急東横線の高架線があった場所と重なります。今こうして見てみると単なる「広い歩道」くらいにしか見えませんが、確かにここには10年前まで東急東横線の高架橋があり、毎日数えきれないほどの列車が走っていた場所です。
しばらく歩き進めていくと、遊歩道自体は行き止まりになります。その先は2階部分に上がることのできる階段があり、いよいよかつて「東横渋谷駅」のあった場所へと差し掛かります。
階段を上り切り後方を振り返ると、そこには今にも飛び出してきそうな緑色の電車の絵が描かれています。
この絵にも描かれている通り、かつての東横渋谷駅の跡地に建設され、2018年に開業したのが「渋谷ストリーム」と呼ばれる駅直結の大型商業施設です。
建物へと続くこのデッキ部分の高さは「2階」。おそらくちょうどここにあった東急東横線の高架とほぼ同じ高さ、同じ位置で再現されたものと思われます。1本だけですが線路をイメージした床面の模様もあり、さらにテンションが上がります!
日曜日ということもあり、渋谷ストリームの館内は多くの人で賑わっています。その足元を見てみると、何と線路が床に埋め込まれた状態でずっと先まで続いています。
歩き進めていくと、途中には分岐を再現したようなデザインの模様まで。
実際にはこのほかにも多数の線路があったことでしょうが、その一部だけでも再現することで、ここにかつて鉄道が通っていたことを後世に伝えることのできる貴重なものとなっています。
そしてその先にあるのが、「東急東横線旧渋谷駅ホーム跡地」です。
「渋谷ストリーム」を抜けて「渋谷スクランブルスクエア」に入る手前の空間にあり、トレードマークでもあったかまぼこ型の屋根がしっかりと再現されています。
この地にホームが設置されたのは、1927年のこと。東京横浜電鉄(現在の東急)東横線が開業し、わずか1面2線・たった2両分の島式ホームとして誕生しました。
戦後になると大幅な改良工事も行われ、1964年には既にその最終形態である4面4線にまで拡大。渋谷~桜木町駅間を結ぶ東横線の電車がひっきりなしに発着するターミナル駅となりました。
2004年にみなとみらい線が開業し、渋谷~元町・中華街駅間での直通運転がスタート。1927年から2013年まで実に86年もの間、東急における都心最大のターミナルとしてその役割を果たしてきたのです。
そしてご存じの通り、現在このターミナル機能は地上2階から地下5階へ移され、東京メトロ副都心線との相互直運転が行われています。かつての頭端式ホームにあった昔ながらの古き良きターミナル駅としての雰囲気とは異なりますが、機能的かつ洗練された新時代の交通結節点としての役割をしっかりと果たしているように思います。
いよいよ2023年3月18日からは、この東横線・副都心線の渋谷駅ホームに相鉄線の列車までも乗り入れることになります。その姿を時代とともに少しずつ変えながらも渋谷にターミナル機能を据えてまもなく1世紀が経とうとしていますが、今なお東急東横線は進化し続けているのです。
今回も最後までお読みいただきありがとうございました。