わたかわ 鉄道&旅行ブログ

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【話題】「BRT」ってどんな乗り物? 大船渡線の被災区間を走る赤い車体の正体とは

 

2023年8月13日(日)

本日は岩手県大船渡市の盛駅へとやってきました。

JR東日本三陸鉄道の駅舎が並んで配置されている、大船渡市内で最大のターミナル駅です。

しかしこんな立派な駅舎を持ち合わせていながら、実際にこの駅にやってくる列車は三陸鉄道のみ。JR東日本の列車は1本たりともやってきません

JRの駅舎内へと入ってみると、一見ただのこじんまりとした地方の駅にすぎません。運賃表・自動券売機・時刻表があり、さらには最近各地で廃止が進むみどりの窓口も残存しています。

しかし頭上を見てみますと、そこには何やら「BRT」というアルファベット3文字が…。

そう、ここ盛駅へとやってくる大船渡船は、2011年3月に発生した東日本大震災の影響で気仙沼盛駅間の鉄道事業が廃止され、BRT(Bus Rapid Transit/バス高速輸送システム)へと転換されているのです。

改札口をくぐりホームへ向かうと、そこに広がっていたのは線路…ではなく道路。停車しているのは電車でも気動車でもなく路線バスの車両です。

跨線橋や屋根の配置等から、かつての盛駅ホームがそのまま使用され、線路を剥がして路線バスの走行できる道路へと切り替えたであろうことが容易に想像されます。

大船渡線は元々一ノ関~気仙沼盛駅間を結ぶ鉄道路線でしたが、東日本大震災の時に津波被害の大きかった気仙沼盛駅間をBRTとして復旧しました。残る一ノ関~気仙沼駅間は内陸部を走るため、現在も鉄道路線としての営業が続けられています。一方で盛駅駅名標も鉄道営業時代と何ら変わらないであろうデザインとなっており、これほどピカピカだとむしろ震災後に新たに取り付けられたものである可能性の方が高いように思います。

今回乗車するのは、盛15時20分発の大船渡線BRT 陸前矢作です。路線バス車両のためナンバープレートが取り付けられていますが、運行はJR東日本が行っていますのでJRのロゴもしっかりと車体に刻まれています。

なお盛駅ではJRと三陸鉄道の駅舎こそ分けられているものの、駅構内は中間改札等もなくホームを共有しています。BRT乗り場である「2番線」の隣の3番線は従来通り線路が敷かれており、三陸鉄道の列車は必ずこのホームを使用します。最も駅舎に近い「1番線」はBRTの降車専用ホームとなっています。

車内の様子や構造も完全に路線バスそのもの。今回は岩手県内のJR線が1日乗り放題になる「いわてホリデーパス」を使用して乗車していますが、SuicaPASMO等の交通系ICカードも利用できます。現金で利用する場合は乗車時に整理券を取る必要がありますので、忘れないようにしましょう。

15時20分、定刻通り盛駅を発車。ちょうど同じ時刻に発車する三陸鉄道リアス線の宮古行と並走します。BRTの最後部座席に座っていたので、後面展望でその姿もしっかり確認することができました。

盛駅を出てしばらくは両路線が並走しています。現在は三陸鉄道が線路、JRはバス専用道ですが、かつてはJR側も線路であったはずです。

路線図はご覧の通り。上図で盛~気仙沼を結ぶ直線がかつての鉄道路線としての運行ルートを示しており、一部ではこのルートを活かし線路のあった場所をバス専用道として使用しています。一方でかつての運行ルートから外れ一般道を走る区間もあり、特に陸前矢作上鹿折駅間は内陸部の山越え区間が完全に廃止され、海側の平坦な一般道を通るルートへと変更されています。陸前矢作駅・上鹿折駅ともかつては本線上のルートでしたが、陸前高田陸前矢作駅間および上鹿折鹿折唐桑駅間を支線のような扱いとすることで補完しています。

なお本記事内では、BRTの停留所も便宜上「駅」として記載します。

バス専用道の途中には、踏切のような構造物があります。現在はバス専用道と一般道が交差する箇所ですが、かつては線路と道路の交差する真の踏切だったのでしょう。

鉄道の一般的な踏切と異なり、遮断棒は一般道側ではなくバス専用道側に取り付けられています。遮断棒が上がっているだけなら交差点のような雰囲気ですが、当然ながら一般車両はバス専用道への進入が禁止されており、専用道の入口部分ではそれを示すために路面が黄色く塗られています。

地ノ森駅を出ると、BRTは専用道を出て一般道へ。まだまだこの先も専用道は続いていますが、どうやらこの先で専用道が工事を行っているようで、今回はたまたま一般道への迂回運行を行うようです。本来であれば専用道を高速で進み、渋滞の影響を受けないからこそ鉄道と同様に定時性が確保されているBRTですが、一般道へ出てしまうと一般の路線バスのように遅延が発生しやすくなってしまうかもしれません。

続いては大船渡駅に到着。一段高くなったところに専用道(旧線)上のBRT乗り場がありますが、本日は一般道を走行するということで駅前のロータリーへ入りました。せっかくBRTを謳っていながら、これでは普通の路線バスと何ら変わりません。

大船渡駅を出てからも、専用道へと戻る気配はなく、専用道と一般道の交差する踏切をあっけなく通過していきます。これは通常と異なるルートですから、一周回ってむしろ貴重な体験といえるかもしれません。

BRTは、専用道よりも少しだけ内陸にある国道45号を走行していきます。車窓左手には大船渡魚市場が見えてきました。入り組んだリアス式海岸に面しており、東北太平洋沿岸ならではの景色です。

大船渡駅ほどの大きな駅であれば駅前にロータリーもありますが、そのほかの途中駅ではなかなかそうした設備もないので、その代わりに国道上に設置されている路線バスの停留場をBRTの駅として代用しています。こちら岩手県交通の宮ノ前バス停は、下船渡駅の代わりのようです。

一部区間では海岸沿いギリギリを進むところもあり、これはこれで貴重なBRTの乗車体験といえそうです。

この後国道45号や高規格の三陸沿岸道路はショートカットして山越えする区間となりますが、BRTは従来の大船渡線と同様に山を迂回するルートとなります。

しかし頑なに専用道へは入らず、のどかな沿岸部の漁港を望みつつ進んでいきます。路線バスほど短い間隔で停留場が設置されていないため比較的快適ではあるものの、「バス高速輸送システム」の名に相応しい走りであるかどうかは何とも言えません。

小友駅では、地ノ森駅以来久しぶりにBRT専用道上の乗り場へと入りました。

専用道上にあるBRT乗り場は基本的に旧ホームを取り払って待合室や屋根を新設しているものが多く、鉄道駅と比べると簡素な造りです。

小友駅を出たところで、BRTは問答無用で一般道へと出ます。残念ながらこの先しばらくは専用道が整備されていないためです。

いよいよBRTは、陸前高田市内へと入っていきます。脇ノ沢陸前高田駅間では高田病院駅・高田高校前駅を経由する便とそうでない便があり、今回乗車しているBRTは経由する便でした。

元々「高田病院」「高田高校前」という駅が鉄道時代の大船渡線に存在していたわけではなく、いずれもBRT化後に設置されています。このように、需要や動向に応じて柔軟に途中駅を設置できるのがBRTの強みであり、現にこの付近では2017年に「まちなか陸前高田」というBRTの駅も設置されていましたが、わずか1年で廃止されています。

また同一駅名であっても、震災後の都市整備の進捗に応じて駅が何度か移転されている例もあります。実際の作業としては路線バスのバス停を新設したり廃止したりするのとほぼ同じですからそれほどコストや手間はかからないのですが、鉄道駅だとそう簡単に短いスパンで何度も移転したりは難しいところ。その意味でもBRTとしての復旧には大きな意味があったといえます。

陸前高田市中心部の街並みは、まるで再開発されたニュータウンのように綺麗な道路がとても印象的です。もちろんこれは、2011年3月11日の大津波で一度全てが流され、長い時間をかけて復興を遂げたからこその姿なのです。

やがて陸前高田に到着。鉄道時代から「陸前高田駅」はありましたが、かつての位置とは異なります。現在BRTにおいては気仙沼方面と陸前矢作方面へ分かれる重要な運行拠点となっており、ここを始発・終着とする便も設定されています。

このBRTは陸前矢作行ということで、海側ではなく山側へ進みます。こちらがかつて線路のあったルートでもあり、竹駒駅手前から専用道が再び姿を現すものの、残念ながらまたもそちらへは入らないようです。

車窓左手にBRT専用道を望みながらも、このBRTはひたすらに一般道(国道343号)を走行していきます。もっとも、次第に陸前高田の市街地からは離れていく方向ですので、特段道路が混雑している様子もありません。

まもなく、終点の陸前矢作が近づいてきました。ここで再び専用道へと入ります。

上の画像は奥に向かっていくのが陸前高田方面です。少し土が盛られて高くなっているのはかつて線路があった跡で、この区間までは専用道となっておらずただの”廃線跡”になっています。

16時28分頃、終点の陸前矢作に到着。最終的には定刻よりも7分遅れでの到着となりました。

陸前矢作駅より先も、線路が敷かれていたであろう跡地をしっかりと確認することができます。しかしその先にそびえる険しい山を見ると、とてもBRTで越えていくような山ではありません。一方で湾に面した海沿いのルートはかつて鉄道のなかった地域ですが、そちらの方がまだBRTのルートとしての合理性があるのも頷けます。

陸前矢作駅にかつてあったと考えられる駅舎・ホーム等の鉄道設備は全て撤去されており、その代わりぐるっと一周バスを転回することのできるようなループ線が造られています。中央にも数台停めておけるようです。

到着したBRTは、すぐに折り返し陸前矢作16時34分発の陸前高田となります。これに乗車して、陸前高田駅へと戻ることにします。

20分弱で終点の陸前高田へ到着。先ほどは乗車したままでしたが、今度は終点ということでいったん降りてみます。

先ほども述べた通り、陸前高田駅はかつての鉄道駅とは異なる場所にBRTの駅が新設されました。駅舎はあるものの、乗り場の構造は完全にバスターミナルです。

駅舎内にはこれまたみどりの窓口があり、JRのパンフレット類や時刻表も置かれています。

大船渡線BRTの経路としては、これより南側の気仙沼方面へと続き、さらにその先は「気仙沼線BRT」へと続いているものの、今回は時間の都合上そちらへ行くのは見送りたいと思います。

BRT陸前高田駅からは、かつての陸前高田市街地を見渡すことができます。

12年前のあの日、大津波という名の激しい水の塊が、この街を一瞬にして飲み込みました。

BRT駅を含め、都市機能のほとんどがかさ上げされた高台へ移設されたことで、この背後には新しく綺麗な街並みが広がりつつある一方、海側は今なおご覧のように更地となっています。

BRT陸前高田駅から歩いてすぐ、かさ上げ前の土地にぽつんと佇む建物があります。震災遺構の一つとして知られる「米沢商会」です。

地震発生直後、大津波がこのビルを含む周辺一帯を襲いました。波はこの建物の屋上ぎりぎりにまで達したそうで、その目印が記されています。現在、この建物の中に立ち入ることはできませんが、安全が確保されたロープの外側から見ることができます。

繰り返しますが、以前この付近一帯は市街地でした。この米沢商会のビルは市街地に立ち並ぶ建物や民家の一角でひしめく一軒の建物だったのです。現在の景色からはなかなか想像もつきません。

また、こちらは「かつての陸前高田駅の跡地」とされている場所です。道路に面して5~6段ほどの階段があるのみで、線路の跡やホームの跡などがあるわけではありません。この階段が果たして駅の中のどの部分の階段であったのか、またそもそもここが本当に旧陸前高田駅だったのか…など、直接現地で見てみても分からないことの方が圧倒的に多いのが正直なところです。

さらに海へ向かって歩いていくと、震災遺構「道の駅高田松原」があります。現在道の駅として営業はしておらず、周囲には柵が立てられています。

奇抜な形状をした建物ですが、何とも痛々しい姿はまるで12年前から時が止まったかのようです。

そして建物の裏手側には、ぐにゃりと曲がって折れた構造物の跡などがそのまま残されています。地元の方々でさえもこれまでに経験したことのなかった未曾有の大災害、その威力を知るには十分すぎるほどの遺構です。

何だかんだで歩いているうちに、一つ隣の奇跡の一本松駅へとやってきました。

駅名からもお分かりの通り、これもBRT化後に新設された駅の一つです。当初は臨時駅でしたが、2014年10月に常設駅となりました。ただしその後も何度か移転を繰り返しています。

「奇跡の一本松」はここからさらに少し歩いたところにあるようで、あいにく時間の都合上今回はお預けとなりました。また改めて東北地方太平洋沿岸に関しては時間をかけてじっくりと訪れさせていただきたいと思います。

ちょうどBRTが来ましたので、これに乗って大船渡市内へ戻ります。

 

今回も最後までお読みいただきありがとうございました。